文化

志村けんとムハンマド・ユースフ・ウンドゥーカーイ…理由は異なれど

Sunday, October 1, 2023

筆:アブドゥルマフムード・アブドゥルハリーム大使
(スーダン)

「またテレビに出て、コロナも笑いに変えてくれると思っていたのに…」―日本で最も有名なお笑い芸人、志村けんの大勢のファンは口をそろえて言った。ギリシャの哲学者でストア派の中心人物だったクリュシッポスは、イチジクを食べるロバを見て笑い死んだというが、志村は決して笑いの発作で亡くなったのではなかった。世界中に蔓延したコロナウイルスが彼の肺にも忍び込み、日本中にその死が知らされることとなったのだ。志村の顔には最期まで笑みがあった―。

真面目で気難しい日本人を笑わせ続けた、輝かしい生涯であった。志村は、数十年にわたり日本のロックンロール・ミュージックとお笑いを届けてきたグループ、「ドリフターズ」のメンバーとして広く人気を集めた。また、「変なおじさん」や「ひとみ婆さん」といったいくつもの人気キャラクターを生み出し、そのコミカルな動きとスタイルで、あらゆる世代の心を楽しませた。その志村の訃報に、日本の新聞やメディアには別れを惜しむ言葉があふれ、誰もがその死を悼んだ。創作の巨匠で、人生と鶴を愛したノーベル文学者、川端康成の自死に次いで、世に大きな衝撃を与えた突然の報せであった。

アブドゥルマフムード・アブドゥルハリーム大使

世界のどこかで、あるいは日本の古都京都で日が沈むころ、スーダン・西ダルフール州の都市ジュナイナでは新しい朝が始まっていた。ジュナイナは京都同様、かつての王制の首都であるが、内乱に傷つき、今まさにその傷口を手当し人々の血まみれの衣服を洗おうとしていた時のことだった。ムハンマド・ユースフ・ウンドゥーカーイは長身で、恰幅のよい、明るい顔つきの舞台俳優で、ある日彼は、前日に政府の役人や高官の前で平和や社会的調和、平和的共存、人種主義の放棄を訴える舞台演劇の仕事を終えて、休日を過ごしていた。観客は舞台上のウンドゥーカーイに見入り、その独創性と優雅な衣装に喝采を送っていたが、誰ひとりとして、それが彼の最後の姿となることを知らなかった。罪深い手が忍び寄り、ウンドゥーカーイは殺害された。当時ジュナイナではこうした殺人はあちこちで起きており、大樹は根こそぎ抜かれ、人々の心には憎悪がはびこっていた。そんななかウンドゥーカーイは、創造を通して、オレンジやレモンの木々、子どもたちの笑い声にまもられた安全な空間を作り出そうとした人物だった。しかし、彼を殺めたナイフにとってはそうではなかったのである―。

人工呼吸器をつけるまで、人々に喜びと笑顔を届けるため邁進していた志村けんのように、芸術の道で平和を願い続けたウンドゥーカーイは、突然鋭い刃に道を閉ざされた。日本とスーダン、理由は異なれど、ともに大きな喪失を経験し、舞台の照明が落ちるとともに、2対の瞳の輝きはついに失われてしまったのである。



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